バイト遍歴と自分形成
社会人4年目の私は学生時代にさまざまなアルバイトを経験しました。そこでの経験や人との出会いが、今の自分に大きな影響を与えていると感じます。
勝手に思い出しながら、まとめてみます。
時間に余裕のある方はお付き合い下さい。

①学生服マルゴ(高校1年~大学4年:7年間 時給700円→850円?)
今思えば、ここで私は運命的な出会いをしていました。社長GH氏との出会いです。GH氏は学生服屋のかたわら、個人の学習塾を開いていました。私は中学2年の夏期講習をきっかけに通い始め、なぜか先日の結婚披露宴に出席してもらうまでになりました。「若くて柔軟な発想の子ども達に囲まれて仕事ができるのはうれしいことだ」とよく言っていたのを思い出します。
高校の時は塾に通いながら、学生服屋の手伝いをしていました。高校はバイト禁止だったにもかかわらず、学校の勉強と同じくらい社会の勉強は大事だと、高校生の私にできる仕事(郵送の送り状書きでした)を与えてくれました。ちなみに当時の時給は700円で、一日5時間の10日間働いた人生初のお給料35,000円はミニコンポに変わりました。
また、私の勝手な提案で会社初の訪問販売(正確には早期予約の取り付け)をさせてもらったり、学校販売の帰りには600万円を持って帰らされたりと、学生の私を一人の社会人として信用してもらうという、とても有り難い経験をさせて頂きました。

名古屋東急ホテル(大学1年春:3ヶ月間 時給900円)
マルゴ以外で初めてしたバイトです。大学の入学式で勧誘され、そのまま始めました。内容は、ホテルで行われる結婚披露宴やパーティーのサービス係でした。場所前に行われる貴乃花・若乃花の後援会主催の激励会・・・の隣の会場に配置され、悔しい思いをしました(希望しましたが叶いませんでした・・・)。片手の皿3枚持ちの技術やテーブルマナー・セッティング、身だしなみ、言葉使いを学ぶことができました。セット(4時間ターム:準備1時間、本番2時間、片付け1時間)を一日中めまぐるしく繰り返し、肉体的にも精神的にもかなりハードな仕事でした。

フルキャスト(大学1年夏:1ヶ月間 日給8,000円)
最近では、楽天イーグルスの本拠地 県営宮城球場のネーミングクライツを3年間2億円で買収したことで有名になった人材派遣企業です。当時はアルバイトの派遣業務をメインにやっていたようですが、現在では社員派遣にとどまらずスポーツマネージメント(例えばJリーグの楢崎正剛など)にまで手を広げ、東証1部上場を果たしました。
私の派遣先は、巨大なソニーの工場やジャスコの配送センターでした。ソニーの工場ではモニタの梱包を、ジャスコの配送センターでは食品ラックの仕分けをしました。完全に労務提供型の体力仕事でした。ジャスコの配送センターでは、場の主(ふとっちょいおばちゃん)に気に入られ、なぜか鰹節を山盛りもらいました。

ライオン社(大学1年冬:3日間 日給6,000円)
何とも短絡的な名前(洗濯洗剤のLIONとは無関係)ですが、仕事内容は富士フィルムの販売促進活動でした。カメラのキタムラに出向し、お客様に富士フィルムをただただ推しまくりました。年末だけの単発仕事でしたが、事前研修はたったの5分で、ISOの意味も分からず売り続けていた、ある意味最強のアルバイターでした。
今になって調べてみると、ここも人材派遣業のようです。

⑤居酒屋榮太郎(大学2年:1年間 時給800円→850円)
次は海鮮にこだわった居酒屋チェーンです。店長とは特に気が合い、オープニングメンバーとして新規店舗に一緒に連れて行ってもらいました。また、チェーンならではの他店応援制度を利用して、自店以外のいろいろな店舗に出向し、多くの人と仕事をすることができました。
また新店移籍後当時ドリンク場を任されていた私は、お店に来たGH氏率いるマルゴメンバーに、ファーストオーダーだけでベロベロに酔わせてしまい、ちょっとした逸話となりました。

北京料理百楽(大学3年~4年:2年間 時給900円→930円)
地元のタウン誌 TOKAI Walker には、よく取り上げられたお昼のバイキングで有名なお店でした。特に杏仁豆腐は絶品で、仕事の後によく頂きました。また、お店はビルの15階にあるので、夜景はとてもキレイでした。
私は、1ヶ月半海外に短期留学していたという理由だけで、お店に来る外国人のお客様担当になりました。しかし、そのほとんどを聞き取れずしゃべれずで大変困りました。ここでは、東急ホテルで学んだ技術(パーティーや宴会の運営ノウハウなど)を活かすことができました。また、社員のアルバイトマネージメントがうまく、気持ちよく続けることができた仕事場でした。

玉野総合コンサルタント交通量調査(大学4年:1日 日給8,000円)
私の研究室(都市交通研)ならではのアルバイトでした。極寒の中、早朝から夕方までの調査は堪えました。もちろん一日限りでした。
今では、しのぎを削るライバル企業になりましたが、昨年末の産業再生機構による支援決定のニュースは業界を震撼させました。

振り返るといろいろしましたね。
現在人と交わる職業を選んだのは、こんな過去があるからでしょうか。
しかし、私の思うところ、これからは営業職や技術職にかかわらず、人とのコミュニケーションを最優先にした仕事が要求されるように感じます。全産業の第3次産業化と表現したらいいでしょうか。要するに、どんな仕事も(対価に見合った)顧客の満足を引き出せるかどうかにかかっているということです。

これからも仕事を通じて、多くの人に出会い、多くの経験を積み重ね、自分形成していけたらと思います。
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by sono3106 | 2005-02-08 23:59 | ┗━◇ぱぱ
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